今の俺には、知らないことが多すぎる。それを克服するためにしなければならないことは、やはり勉学だ。しかし普通の生徒ができる勉強をしたところで進行度は他の皆と変わらない。図書館で知識を得ようとも、情報統制されている事実を知った今、一体どうすれば知恵を開拓していけるのだろう。五行、創作魔法、知らないこと、知りたいことが多すぎる。
気難しい顔してどうしたの、とキラがやってきた。そういえば同じラケシスだったな。クラスで話すのは初めてだ。
「どうにかして、図書館の本の続きを読みたくてな」
「あー、私も読めなかった。でも基本的なことは全部読めるから充分勉強になったよ」
「普通はそんなもんか……」
情報統制がかかっているといっても、大概の生徒が知りたがる情報は全て手に入る。下手に生徒が上級魔法を試して大事故に発展するかもしれないと考えれば、情報統制も決して悪いシステムではないのだ。俺が知識に貪欲すぎるだけなのかもしれない。
そんな話をしてる中、教室に駆け込む生徒。チャイムギリギリで滑り込みセーフといったところだ。
「おはようリク!」
その生徒の正体はライ。まあ、遅刻しそうな雰囲気はしているが。
「おはよう、ライ」
「あれ? リクってキラと知り合いだったっけ?」
その口ぶりは、ライとキラは知り合いだということだろう。入学後に何かしらの理由で仲良くなったのだろうか。
「リクくんライと友達だったんだね。私たち幼なじみなんだよねー」
「腐れ縁ってやつかな」
「そうだったの!?」
こんな子と昔から仲がいいなんて、ライはかなり恵まれた奴じゃないか! 仲がよさそうな雰囲気を見るのは何とも言えない気持ちだったが、今後このメンバーでつるめるのは嬉しかった。
ホームルームが始まり、スロが教卓に立つ。昨日のことを引きずっている様子も無く、普段通りに見えた。
「今日は特別授業があったと思うけど、学年全体の魔法実技試験についての説明があるから」
魔法実技試験――それは、魔法の成熟度を測る、という名目の魔法バトルとでも言おうか。学期末に指定された対戦相手と一対一で魔法のみを使った対戦を行う。それに勝てば評価が上がるらしいが、この試験の真意はそこではなかった。それは、被験者が、俺たちが初めて体験する『生身の人との戦い』。それを前にして戦えるかどうか、倫理的判断は出来るか、などといった実技面以外の点の見極めも行われるのだ。しかしながら大半の生徒はそこまで考えず、楽しみながら戦う。本当の戦いと縁の無い者たちにとって、生身の人を傷つけるという行為に深い意味など無いのかもしれない。
特別授業の時間、学年全体が体育館に集められた。思えばラケシスの生徒とは少しばかり交流したが、他のクラスの生徒と関わったことはない。どんな奴がいるのか、強い人はいるのか、ほんのちょっと気になった。クラス毎に整列し直す際、アトロポスの方を一瞥する。
――その時、俺は悪寒を感じた。それは今までに俺が体感したことの無い何か。それが殺気だと気づくのに、少し時間を要した。俺の目の先にはアトロポスの生徒。ゴーグルを身につけた、橙色の男。彼が俺を、蔑むように、とても冷ややかに見つめていた。
俺は即座に視線を逸らした。そのまま見続けていると、体が凍りついて動かなくなってしまうような、そんな感覚に陥ったのだ。後ろからライがどうかしたのかと聞いてくる。俺は何事も無かったかのように振る舞うことしか出来なかった。
「はーい、皆注目ー」
整列した生徒の前に、三人の教員が立つ。それぞれクロト、ラケシス、アトロポスの担任だ。
「多分三クラス合同で授業を行うのは初めてだと思うから、ささっと自己紹介だけしておこうか。じゃ、ホリィ先生から」
昨日世話になった保健室の先生でもあるホリィがマイクに向かって声を出す。
「えーと、皆さんはじめまして。私はクロトの担任そして養護教員でもある、ホリィ・アンデルセンです。火の魔法のことなら教えられると思うから、気軽に話しかけてくださいね」
そう言ってホリィは一礼した。次はスロの番だ。
「ラケシスの担任、スロ・インプルペイサーです。補助魔法から攻撃魔法、一通りのことならなんでも教えられるつもりよ。クロトとアトロポスの皆、よろしくね」
そして今日初対面となる教師がマイクを手に取る。恐らく彼が、昨日スロとホリィが話題に出していたフォグニだろう。
「クロトの担任、フォグニ・キングズバレーだ。氷魔法の、特に攻撃魔法のことならなんでも聞いてくれ。皆、よろしくな!」
彼からは意外とラフな印象を受けた。攻撃的で冷酷そうなアトロポスのイメージとは正反対に、天真爛漫な雰囲気だ。
三人の教員の紹介が終わり、スロが実技試験の全体説明を始める。
「今あなたたちの隣には、違うクラスの生徒がいると思います。その中の誰か一人と一対一で魔法による模擬戦闘を行うことが試験の実施内容です。学期末に行うからまだ時間はあるのだけれど、対戦相手だけ先に決定するのが例年通りね。と、いうことで、今からくじを引いてもらいます」
くじ引きはうまくできていて、同じクラスの生徒とは当たらないようになっている。クラス対抗の大会形式にすることによって、生徒の意欲を引き立てようというのが学園の目的だろう。
くじを引き、対戦表が出来ていく。俺の対戦相手はフラム・バーンズアップというアトロポスの生徒のようだ。特にアトロポスの生徒と交流があるわけではないので、その名前にピンとくるものは無かった。
「じゃあ顔合わせでもしてもらおうかな。対戦番号順に列になってね」
スロの指示に従い生徒達がわらわらと動き始めた。次第にそれは収まって列が出来上がる。
「隣にいるのが対戦相手よ。挨拶でもして、仲良くなってね」
顔合わせといったところだろうか、対戦相手の情報が何もないのは不利だと思い、気さくに振る舞って情報を抜きだそうと試みることにする。
「対戦相手のリク・アンダーロックだ。よろしく」
――対戦相手の顔を見て、その判断は間違いだったと痛感する。握手しようと差し出した手が握られることもなかった。
先ほど殺気を滲み出していたアトロポスの生徒、ゴーグルを身にした橙の男がそこにいた。
彼がフラム・バーンズアップだったのだ。
「お前は魔法に、何を求める」
フラムがまず口にしたのは、その言葉だった。
「俺が魔法に求めるもの……」
俺は言葉を返すことが出来なかった。確かに、魔法について知りたいことはたくさんある。しかし、それを学んで、会得して何をするのか。俺には確固とした目的はなかった。
「フラム、君にはあるのか。魔法を学んで、その先に求めるものが」
俺は質問を切り返す。それに対してフラムは即答した。
「力を欲している。誰にも負けない、誰も寄せ付けない強大な力を」
俺は理解した。彼の殺気は恐らくそこから来ているのだと。
「教えてくれ、リク・アンダーロック。お前を倒せば、俺は『最強』になれるのだろうか。今学園で頂点に立っているお前を倒せば、俺は力を証明できるのか」
「そんなの俺には……」
「今のお前は、強そうに見えない」
答えに渋った俺は、フラムに愛想をつかされてしまったのか、そんな言葉を投げられた。
「お前が本当に強いのなら、本番までに必ずコンディションを整えてこい」
彼の目を見ると、何もかも見透かされそうな、そんな不思議な気分になった。
「教えておこう。俺の属性は『地』。破壊を主とした魔法を使う」
「……! お、俺は……」
「言わなくていい。リク・アンダーロック。俺は俺の騎士道を貫くだけだ。俺に込められた、あの言葉を……」
フラムは意味深な言葉を残して去っていった。短い対面だったが、彼が相当の実力の持ち主であることを確信した。今の俺では勝てない。ならば――
試験までに、実力を磨くまでだ。
外套を翻し去ったフラムを見届け、俺はライを目で探した。実力をつけるなら彼と鍛錬するのが最適な気がする。一体彼はどんな相手と当たったのだろう。
視界がライの姿を捉える。彼と話しているのは――三角帽子の少年。当たり前かもしれないが初めて見る顔だった。
「俺はライ・ハイディア。よろしくな」
ライは初対面にもかかわらず気さくに三角帽子としゃべっていた。
「僕はザルガ・サグジェスペル。此方こそ、よろしく」
三角帽子――ザルガという名の少年は、人見知りなのか緊張しながら言葉を返す。
「そんなかしこまるなって。もっと気楽にやろうぜ」
ぽん、とライが肩を叩く。その行動にびっくりしたのかザルガは身を震わせた。
「ひゃっ!」
「す、すまん。痛かったか?」
「いや……ちょっと驚いただけで……」
正直、全く強そうには見えなかった。本当に魔法を使えるかどうかすら怪しいレベルにすら見える。
「ま、お互い頑張ろうな! それじゃっ!」
ライが最後に挨拶して去ろうとする。
『舐めてかかると、痛い目見るぜ』
その声にライは驚き、ザルガを見る。しかしザルガも驚きの表情を浮かべている。
「今、何か言ったか?」
「いや、別に……」
ライがザルガに問うが、ザルガはなんとも言えない返事をする。
「そうか、じゃあな」
今度こそ、ライがザルガに別れを告げた。二人が離れていくのを見計らい、俺はライに話しかける。
「おう、リクか。さっきの、見てたか?」
さっきのというのは、ザルガの妙な呟きのことだろうか。
「随分、物騒なことを言ってた気がするけどなあ。見た目と違って」
「だよなあ」
ライにも同じように聞こえていたらしい。別人格か何かがしゃべっているような、そんな印象を俺は受けた。
「とりあえず、一筋縄ではいかなそーだな。リク、お前の相手は?」
「……ひときわヤバそうな奴と当たってしまった」
俺は苦笑いしながらライに説明した。ライも苦笑いを浮かべていた。
集会も終わり、昼休みの時間になった。教室で弁当を食べる者、食堂で定食を食べる者に分かれ、廊下がごった返す。
俺たちは――俺、ライ、キラの三人で食堂への波に流れ込む。席が空いているか不安だったが、さすが金のかかっているカフェテリア。席数は沢山確保しているらしく、四人席を取ることができた。
ライを荷物番にして先に俺とキラが料理を取りに行く。俺が選んだものはフィッシュアンドチップス。アインシュレインではファストフードに近い大衆料理だ。アインシュレイン西部の沖合で取れる白身魚に、エールで溶いた衣を付けて油で揚げている。エールの炭酸が効いているのか、程よく衣がフワフワ、サクサクになって、それは美味である。
テーブルに戻った俺のフィッシュアンドチップスをライが羨望の眼差しで見つめる。彼は「俺もそれにしよー!」とか言って料理を取りに行った。
入れ替わりにキラが席に着いた。彼女はハムエッグサンドイッチやBLTサンドイッチを皿に乗せ、もう片方の手に紅茶を淹れたカップを持ってやってきた。
「少なくないか?」
俺はキラに言った。サンドイッチ二つに紅茶だけ、ではすぐにお腹が空きそうである。
「これくらいでいいの!」
単に食が細いだけなのか、ダイエット中なのか知らないが、あまり詮索しないことにする。
「おまたせ~」
と、ライが帰ってきた。そしてキラの料理を見ると、
「なんだ? ダイエット中か?」
「ほんとライって、デリカシー無いんだから!!」
勿論キラは怒る。俺は呆れた顔でライを見ていた。
楽しく会話しながら食事していたところに、一人の女性が定食のトレイを手に持ってやってくる。
「あら、そこ空いてる?」
「……えー」
「そう堅いこと言わないで。仲良くしましょ」
空いている一席に座ってきたのはスロだった。隣に座られたキラが少し距離を取ったのを俺は見逃さなかった。
「で、あなたたち、試験では勝てそうなの?」
「正直言って……」
俺とライは顔を見合わせて言う。
「あんまり自信無いです」
「へー、結構弱気なのね。キラさんは?」
「私は、どうだろう。相手の実力が分からないからなんとも……」
「まあ、そんなものよねぇ。どうしてあなたたちは劣勢だと判断したの?」
俺とライに話を振ってきたので、ライの分まで答えてやる。
「まず一つの判断要素は組です。クロトではなくアトロポス。彼らは潜在的に戦闘行為に長けていると言えます」
「なるほど。でもそれだけなら、あなたの相手にもならないはずよ。首席さん」
「その呼び方はやめてください。……一番の決め手はそこではないです。多分、相手の名前を聞いたら分かるんじゃないですかね……。俺の相手はフラム・バーンズアップ。ライの相手はザルガ・サグジェスペルです」
名前を告げると、スロの顔つきが急に変わった。どうやら図星のようだ。あの二人は何かしらの『有名人』に違いない。
「あなたたちは、本気で勝負に勝ちたい?」
スロから問われる。彼女は試験という表現を変え、勝負と言った。これは戦いなのだ。ただの試験ならば勝敗に固執する必要はない。判断要素にならないからだ。しかし、彼女が勝負と言い放ったからには、勝ちは重要であるだろう。
「勝ちたいです」
「なら、これはオフレコでよろしく。教官は中立でなくちゃいけないから、本当は情報をベラベラ喋っちゃいけないのよ」
俺達はコクリと頷いた。
「二人の共通点はね、驚異的な魔法熟練度ね。彼らは学園に入る前から魔法が使えた。魔導士の家系でもない限りそんなケース無いんだけど、彼ら二人は恐らく例外ね。まずはフラム・バーンズアップ、彼の家系が少し特殊すぎてね……彼は小さい頃から『戦』の訓練をしていた。遺伝の影響も大きいんだろうけど、魔法自体がズバ抜けて上手いわけではなく、ただただ威力が強い。基本魔法で上級魔法に匹敵する強さを出すわ。だからリクくん、彼は『戦のスペシャリスト』。真っ向勝負で勝ち目はないと思いなさい」
俺はスロの言っていることを素直に受け入れられなかった。真っ向勝負で勝てないなら、どうやって勝てばいいのだろうか。間髪入れずにスロは続けた。
「そしてザルガ・サグジェスペル。彼の家系は特に何もない平民ね。ただ、彼は昔事故にあって……詳しくは言えないのだけど、魔力源を得てね」
「魔力源?」
意味深な、よく分からない単語だった。
「ごめんなさい、これが伝えられる最大限の表現なの。で、彼はフラムくんと逆に、魔法がとても上手。そして、リクくんに引けを取らない膨大な知識を持っているわ。一つ上の学年の単位なら、容易に取れるくらいのね。ライくんも……正攻法では手玉に取られるでしょうね……」
「なぁ、スロ先生は俺たちに勝てないって言ってるのか?」
ライがスロに食いついた。確かに、今までの言い方では、俺達に諦めろと言っているようなものだ。
「これを教官の私が言うのもなんだけど……」
スロはなにやら難しい顔をしながら言葉にした。
「あなたたちだけの戦いをするのよ」
ライはどうやら理解してない様子だ。
「ただし、私は全く推奨しない。それを見た学園上層部がどう判断するかも知らない。それでいいなら、勝ちなさい」
スロは未だに迷ったような表情を浮かべていた。こんなことを言ってよかったのかどうか心の葛藤は終わってないようだ。そんなスロを見て、俺はただ、感謝を伝えた。
「ありがとうございます。今の話、本番に役立てたいと思います」
食事を終えたスロはお盆を持って立ち上がる。彼女は去る前に一言、言葉を残していった。
「最後に一つだけ……中途半端に彼らを怒らせてはダメよ。あの二人は本気になると」
俺はスロの後ろ姿を呆然と見つめることになった。