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Wandering Wondering

Social/Journal

剣士志願者の聖譚曲

The Knight's Oratorio

甲冑の騎士-First Encounter-

朦朧とした意識が覚醒し、視界に入るほのかな日光が朝であることを告げる。男にとってそれは幾千と繰り返された営みなのだが、今日のそれは特別なものであった。
今日は彼がこの世に生を受けて丸十八年目――つまり、十八歳の誕生日であった。
十八歳にもなると世間では成人として扱われる。身体的に、そして社会的にだ。社会的というのはこの世界のある制度からなるものだった。
『職業制度』――成人は、帰属する国家のために任意の職業に就いて労働する義務がある。それによって彼もまた成人になった今日、この国『オリオルフェスト』のために貢献しなければならなくなった。
 職業には様々なものがあり、商人や料理人、講師、研究者になるのも個人の自由だ。しかし『職業制度』という制度によって定められた職業に就く若者が近年増えてきている。
その職業とは戦闘に関わるものだ。長い時間をかけて、『戦士』、『魔導士』、『僧侶』など、数多の戦闘職業が『職業制度』によって導入された。
戦闘業というと聞こえはあまり良くないかもしれないが、それでも戦闘業に人気があるのには理由があった。『職業制度』の職業に就いた者達は『冒険者ワーカー』と呼ばれ、一般労働者より手厚い福利厚生を受けることが出来るのだ。
一般労働者は固定給であるのに対し、冒険者は歩合制となっている。例えば魔物討伐の依頼を受けると、報酬として金貨がもらえる、などといったようなものだ。
そして彼らには社会への貢献度で優遇措置などもあり、働けば働くほど、依頼をこなせばこなすほど立場が上がっていく仕組みになっている。
仕事をするにも労働時間の決まりはなく、体と相談して休日なども決めることが出来る。依頼内容にも様々な内容があり、魔物退治、要人の護衛、荷物の配達、ゴキブリ退治など、日常のことから、命に関わることまで何でもある。
この自由度に、現代の若者たちは惹かれていた。

そして、この男アルフレッド・ガルシアも今日十八歳の誕生日を迎え、成人の仲間入りを果たした。つまり、『職業制度』によって何か職業に就かなければならない。
成人を迎える人間は、自分の将来を決める『職業制度』に対して何らかの興味を持ち、その日に向けてなりたい職業選びを終えているのが基本だ。しかし、優柔不断なアルフレッドにとって多数の職業から一つを選び出すのは少なからず大変な作業であり、とうとう今日までに決めることは出来なかった。
それでも時間は待ってくれない。職業申請の期限は誕生日の今日までであった。
「ほら、アル。いつまで寝てるの!? 今日は大事な日なんだから、早く身支度しなさい!」
「もう起きてるよ、母さん。今下りるって」
 母親のアンから起床を促され、温もりの残ったベッドから這い出る。服を着替え、顔を洗い、朝食はミルクとトーストで済ませた。
 今日までに職業申請書を提出しなければならないため、朝早くから身支度をして出発しなければならない。まずは市街地の中心にあるワークショップまで行って職業申請書を受け取らねばならないのだ。
「もう出るよ」
「ちょっと待ちなさい、アル」
 急いで家を出ようとするアルフレッドを、母親が引き止める。
「お父さんに、挨拶して行きなさい」
「……分かった」
 アルフレッドの父は、十八年前に他界していた。丁度クレセントテイル戦役に駆り出され、帰らぬ人となってしまったのだ。
 当時アルフレッドは生まれていなかったため、父親は写真でしか見たことはない。
「母さん……父さんって、どんな人だったの」
 アルフレッドは、アンに質問した。実はこの質問は、今までに何度もしてきたものだ。しかし、アンは頑なに父親の過去を話そうとしなかった。優しい人だったとか、アルフレッドに似ていたとか、当り障りのないことだけしか答えなかった。
「お父さんは……強い人だった」
 アルフレッドは、また曖昧な言葉で濁すのか、と少し落胆した。が、アンの語りは続いた。
「お父さん、仕事の出張で私の地元に来てて、私達、そこで出会ったの。
 仕事を熱心にこなすお父さんの姿を見ていて、私は地元を出たくなってね、彼が出張から帰るときについていったのよ。もう、この人しかいない! って思ってね」
 アンの話は、長く続いた。アルフレッドは初めて耳にする話を目を輝かせながら聞いていた。
「ごめんね、今日は大事な日だっていうのに、こんな取り留めのない話をしちゃって」
「ううん、いいんだ母さん。寧ろ、こんな話が聞けて嬉しいよ」
 アンのした話は、すべて他愛ない話だった。それでも、実際に見たこともない父親の初めて知る一面は、あたかも彼がその場にいるかのようにして、人生の門出を迎えたアルフレッドを勇気づけたのだった。
「アルフレッド、自分のなりたいものになりなさい。お母さんも……お父さんもそれを願っているから」
「うん、行ってきます」
 アンに後押しされ、アルフレッドは外に出た。

内心少しの緊張を感じながら、外の空気を肺いっぱいに吸い込み、静かに吐き出す。いつも見ている景色なのに、胸の高鳴りのせいだろうか、違った景色のように見える。
徒歩三十分、アルフレッドの住んでいる街からワークショップまではそう遠くない。幼い頃から通り慣れた風景を噛み締め、過去を懐古しながら道を進む。
 ワークショップに行くには大きな商店街を避けては通れない。この商店街の人たちは皆親しみやすく、店はいつも和気藹々とした雰囲気に包まれていた。
アルフレッドが毎日の様に通っていた駄菓子屋。よく当たり付き菓子を買っては外れしか出ないのを嘆いていたことを思い出し、アルフレッドはくすりと笑みを漏らす。この商店街の名物であった八百屋の叩き売りも、ここを通るたびに思い出す。
そこの角を曲がったところにある、あまり日の入らない店。いつも大人の男性が出入りしているのを見かけて、何の店かと子供ながらに不思議に思っていた。あれが娼館だと理解したのは、アルフレッドがもう少し成長してからだった。
 商店街を進めば進むほどに、色あせゆく記憶がよみがえる。成人を迎えたアルフレッドには、そんな懐かしい景色が今までと違って見えた。

「あれ?」

 何かがおかしかった。
 この商店街は何かがおかしい。いや、商店街は商店街で間違いない。しかし、記憶の中の風景とは何かが欠落して見える。
 決定的に違うもの。賑やかな商店街にあって、この商店街には無いもの。アルフレッドは考えた。商店街が沈黙に包まれる――

 沈黙。

「何で誰もいないんだ?」
 毎日何かしら催しがあって賑わっていた商店街に、偶然全く人がいないなどあるはずがない。今通り過ぎた店にも店主が一人もいない。新聞紙を広げながら店番をしている駄菓子屋のじいさんも、店前を通るといつも野菜を格安で売りつけてくる八百屋のおっちゃんも、誰も、文字通り人っ子一人いなかった。思えば家から出て景色の違いにはうすうす勘付いていた。一体この商店街に何が起こっているというのか、アルフレッドは用心深く、再び商店街を歩き始めた。
 少し歩くと広場に出た。やはり、ここにも誰もいないのだろうか。明確な違和感は、アルフレッドに不安と焦燥、そして恐怖を抱かせていた。
「誰かいませんか……」
 呆然と立ち尽くしたアルフレッドは、不安感を少しでも紛らわせるためにひとりごとのようにして呟く。
「誰もいるはずないよなぁ」
 しかし、再び進もうとした瞬間、彼は背後に気配を感じた。
「……何者です?」
 喋ったのは、アルフレッドではなかった。
「手を上げて、動かないでください」
 その声は、アルフレッドと同じ歳くらいの少女だった。彼女は手にしている短刀をアルフレッドの首元に当てていた。アルフレッドは渋々少女の命令に従う。
「貴方ですか? こんなことしたのは」
 こんなこととは、商店街に人が全くいないことに関係あるのだろうか。
「違う、と思う」
 彼女はアルフレッドの瞳を覗きこむ。澄んだ綺麗な眼だ、とアルフレッドは思った。
「嘘ではなさそうですね」
 少女は漸く短刀を直した。
「なぁ、どうしてこんなに人がいないんだ?」
 解放されたアルフレッドは一番の疑問をぶつける。
「恐らく魔物の仕業ですね……しかも、極めて高等な」
「どうすれば元に戻るんだ?」
「そんな簡単に戻るならとっくにやってますよ! まずは魔物を見つけないとどうすることも……」
 どうやら彼女に出来る手は尽くしているようだった。
「そんなことより、どうしてあなたはここにいるんですか?」
「職業申請のためにワークショップに向かってたところだったんだ。今日成人したから……」
「そういうことじゃなくて! しかも年下だったなんて……」
 アルフレッドもまた年上だったのかと驚く。
「私が言ってるのは、どうやって結界の中に入ってこれたのかって言ってるんです!」
 アルフレッドには全くピンときていなかった。
 少女は説明するのも面倒だ、というのを態度で表しながら――顔色を変えた。
「危ない!!」
 少女は何かを詠唱する。
「駄目……間に合わない……!!」

 アルフレッドの意識は、一旦そこで途切れた。

燻る煙の臭い。春先とは思えない異常な暑さにうなされながら目を覚ます。眼前の景色は薄暗く、目を擦った。しかしその明度は変わることなく、ぼんやりしていた意識がはっきりしてくる。
見開いた眼には荒廃した街の姿が映り込む。先ほどまでいたはずの商店街は跡形もなく、瓦礫の山だけがそびえ立っていた。
頭の処理が追いつかないまま、本能的に危険を感じ、恐怖でおぼつかない足を必死に鞭打って走る。走る。どれだけ走っただろうか。息を切らせて周りを見ても、どこまでも瓦礫。まるでずっと同じ場所にいるかのように――もしくは本当に同じ場所に留まっているのかもしれない――ずっと同じ景色が続いていた。
もう体力は残っていなかった。この地獄から逃れることはできない。そう決め込んで項垂れる。そんな中、背後から足音が聞こえてきた。
ずしん、ずしん。違和感を覚える音だ。それは人間のものとは思えない重量感のある音。恐る恐る、振り返る。しかし、それは沈み込んでいた感情を更に奈落へ突き落とすことになった。
 それは見たこともない姿形をしていた。漆黒の体表に鱗、薄い膜が広がる翼、何と表すことの出来ない顔。それは名付けるなら『悪魔』という言葉が最も適していた。おそらく、それがこの街を滅ぼした犯人であろう。憤りを感じるが、抵抗する勇気はない。
『悪魔』が歩み寄る。このままでは殺されるに違いない。そう分かっていても、この場を動くことは敵わなかった。ただ、体を震わせるのが精一杯だ。『悪魔』が微笑む。その顔は醜悪で、見つめるだけで心に黒いものを生ませるように錯覚させた。
 許しを請えば助けてもらえるのだろうか、もう死ぬしか道は残されていないのだろうか。考えれば考えるほど、涙が溢れだした。死にたくない、その一心で天に祈りを捧げた。その様子を眺めて、『悪魔』は嘲笑した。その姿が哀れに見えてしょうがなかったのだろう。醜悪な顔を更に潰して笑い散らした。その笑い声を聞いていると、祈りを捧げるのが途端に馬鹿らしくなった。知っているはずだ。祈りなど気休めだ。脈絡なしに自分を助けてくれる『デウス・エクス・マキナ』など存在しない。最初から、ずっと昔から分かっていたことなのだ。
 『悪魔』は自分の笑いにむせ返り、もう時間だと言わんばかりに向き直った。鋭い爪を持つ手を頭上に上げ、一気に振り下ろす。

 そして、槍が胸元をしっかりと貫いた。

アルフレッドは歯を食いしばり、目を背けていた。いつまで経っても訪れない痛みに不自然さを感じ、恐る恐る顔をあげる。
 そこで彼は漸く気づいた。自分が血まみれになっているということに――彼の身体は『悪魔』の鮮血で真っ赤に染まっていた。そう、槍が貫いたのは『悪魔』の胸元だった。
「バ、バカな……」
 悪魔は断末魔を叫ぶこともなく、ゆっくりと地に足をつき息絶えた。そしてその背後から、一人の人間が現れる。
「大丈夫? 怪我はないかい?」
 その男は黒塗りの甲冑に身をまとっていた。
「あ……はい」
 アルフレッドはその姿に見とれていた。漆黒の兜を脱ぐと、金髪で美形の顔が露わになる。
「良かった。それにしても、災難だったね」
「一体、アイツは何なんですか?」
「奴は『魔族』。人類に仇なす魔物の上位種だ」
「魔族……」
「ともあれ、ここは直に崩壊を始める。早く脱出しないと……」
 彼の崩壊という言葉にアルフレッドは敏感に反応した。
「崩壊……この商店街は、もう元の姿には戻らないんですか? 俺の思い出の詰まった、この商店街は」
 それに対し、甲冑の男は笑顔で答えた。
「心配しないで。ここは魔族の作った擬似領域結界。実際の空間と隔離されたフィールドさ」
 アルフレッドが頭にはてなを浮かべていたので、男は言い直した。
「つまり、君の大好きな商店街は無事だよ」
「……ッ!! 良かった、本当に良かった……」
 救いの言葉をはっきりと耳にしたアルフレッドは、安堵からか地面にへたり込む。思い出の地が健在であることを心から喜んだ。彼の目頭にはうっすら涙が滲んでいた。
 しかし、喜ぶばかりではいられなかった。アルフレッドはもう一つの問題に気づいた。
「この街は保護区内のはずなのに……。保護区内に魔物が侵入するなんて稀だ」
 保護区とは、魔物が入ってこないように防衛魔法が施された地域だ。大規模な地域級の魔法であり、トリトンヘイム大陸の多くの都市にこの魔法が施されている。これはクレセントテイル戦役の名残で、魔物が多く蔓延るクレセントテイル周辺からの魔物の侵入を防ぐための防護策の一つだ。
「鋭いね。君の言うとおり保護区内に魔物が入るなんて普通なら考えられない。そもそも街の外から関所を越えることが難しいからね。でもそんな中、単独で魔族が侵入してきた」
「なんでリスクを払ってまでそんなことを。魔族は人間から何かを奪おうとしているんですか?」
「そうだね……言うなれば、魔族、それだけじゃない魔物全体が人間から奪おうとしている。それは、富、名声、権力、土地、文明、人間が人間たりうるのに必要なもの。そう、魔物達は人間から『全て』を奪おうとしている」
 男が口にしたのは、俄に信じがたいことだった。
「そんな……たかが魔族一体が街に入ってきただけでしょ? 大げさすぎますよ。たまたま街に迷い込んだだけかもしれない。だって十八年間、大きな戦いは世界では起きていないんだから。今回のことも偶然の出来事に決まってる」
 アルフレッドは頑なに信じようとしなかった。男の言葉を信じることで、自分の住む日常が崩れ去るような、そんな気がしていたのだ。
「たかが一匹、というのは間違いだよ」
 しかし、アルフレッドの反論は男の眉一つ動かすには敵わなかった。
「もっと広い視野で考えてみよう。あの魔族は斥候だった。人間の住む地を偵察していたんだ。僕達のような者が魔族の存在に気づいたのが想定外だったみたいだけどね」
「じゃあその魔族が斥候だったとして、それが何を意味するって言うんですか」
「斥候は、本隊の先に配置するものなんだ。つまり――魔物の本隊がこれから攻め込んでくるかもしれない」
 アルフレッドが息を呑む。
「これは戦の始まりだ」
 黒い甲冑が、やけにおどろおどろしく見えた。絶望を叩きつけられたアルフレッドは、何の言葉も返すことができなかった。
 そんなアルフレッドに、男はフォローを入れる。
「だけどこの街は僕が必ず守る、騎士の誇りにかけて。騎士は人を守るために存在するんだから」
 男は胸を張って言った。そんな男の姿が、アルフレッドにはとても勇ましく見えた。
「どうすれば、そこまで強くなれるんですか……?」
 アルフレッドは思い浮かんだ疑問をそのまま投げつけた。
「守るべきものを見つける。それだけさ」
 男がそう言うと、不意に辺りが轟音と共に震動を始めた。
「まずい、結界が崩壊を始めた……。急がないと空間の狭間に飲み込まれてしまう。掴まって」
 男がアルフレッドに手を差し伸べる。アルフレッドはその手をしっかりと掴んだ。
 辺りが光に包まれ、荒廃した瓦礫の山がフェードアウトしていく。
「俺、騎士さんみたいになりたい」
 まばゆい光の中、アルフレッドは男に、騎士に宣言した。
「俺、剣士を志願します。剣士を志願して、騎士になります」
 光の中、騎士の顔ははっきりとは見えなかったが、どこか悲しげな表情をしているように見えた。

「…… て……」

「…………てくだ……い……」

「起きてください!!」

「うわぁっ!?」
 女性の声によって、アルフレッドは目を覚ました。どうやらこの賑やかな広場の中心で、アルフレッドは倒れていたらしい。このうるさいほどの喧騒はアルフレッドにとって気持ちのよい、懐かしいものだった。
「姿を消したと思ったら、今度はこんなところで倒れているからびっくりしましたよ」
 聞いた話だと、敵に襲われてからアルフレッドは姿を消し、それから商店街に人々が戻ってきたと思えば広場でアルフレッドが倒れていたらしい。それを彼女が介抱してくれていたみたいだ。倒れていた間のことはぼんやりしか覚えていない。ただひとつ、騎士になるという信念だけははっきりとしていた。
「目立った怪我は無い……かな、念を入れて継続回復魔法かけておきますね」
「あ、ありがとう」
「こんなことしている場合じゃなかったんだった。それじゃ、私そろそろ行きますね!」
「え、待って! 何かお礼を……」
 彼女は慌ただしく去っていった。倒れていた間介抱してもらっていたというのに、礼はおろか名前すら聞くことは出来なかった。しかし彼女について分かったことがあった。
 彼女の胸元には、バッジが四つ付いていた。少なくとも、そのうち三つは僧侶系列の初級職から上級職までのバッジだ。
「あの人、そんなにすごい人だったんだ……」
 広場に呆然と取り残されたアルフレッドは、漸く役場へ足を進めることが出来るのだった。