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Wandering Wondering

Social/Journal

剣士志願者の聖譚曲

The Knight's Oratorio

門出-Baptismal Name-

神官。それは、冒険者に天恵を与える職業だ。
 その天恵のことを人々は資質と呼び、それを授ける儀式を洗礼と呼ぶ。
 洗礼を行うこと、それが神官の仕事だ。
 全ての冒険者が神官のもとで洗礼を受ける。
 神官とは、冒険者になくてはならない存在なのだ。

神官の娘として生まれた私は、幼い頃から神官になるために育てられた。両親は男の子を生むことが出来なかった。しかし、それでも私は二人から寵愛を受けて育てられた。
 そして、母が死んだ。父には聖堂の司祭である名誉と、跡継ぎの私しか残っていなかった。
 私は魔法学校に入学させられた。神官になるためには、僧侶としての知識が必要となるため、就職前から猛勉強をした。
 私が修める成績はかなり優秀なものだったらしい。最初は褒められるだけだったが、そのうち一つ課題をクリアする度に次のステップの課題を言い渡されるようになっていた。
 私はそれに応えた。どんな難解な問題でも、試行錯誤しながら最終的には正解を導き出した。
 ある日、いつも完璧だった私が解けなかった問題があった。たったそれだけなのに、周りの態度が豹変した。
「あら、ミーナさんにも解けない問題があるのね?」
 と、教師は私を嘲笑し、
「そんなことで神官になれると思っているのか!?」
 と、父は私を罵倒した。
 その時は、神官への道はなんて遠いのだと純粋に感じた。だから、それ以降は今までよりももっと熱心に努力を積み重ねていった。
 成果を出し続けた私に、学校が提案をしてきた。このまま魔法学校の下で研究を続けてみないか、と。
 魔法学校の研究機関は、国内で最大の研究機関であり、入ることは極めて難しいと言われている。
 私自身興味があったし、こんなチャンスを手放してはいけないと思い、父に相談した。
 すると、父は激怒した。
 お前は神官になるんだ。お前が継がなかったら、この聖堂はどうなる。アウグストの名はどうなる。今まで続いてきた栄誉を、お前が途切れさせるのか。
 ああ、父は私なんか見ていないんだ。その時にようやく気づいた。
 私は研究機関に入るつもりでいたが、父の承諾無しに配属は出来ないと言われた。私はなくなくチャンスを手放した。
 それから、妙な噂が立ち始めた。
「ミーナさん、研究機関に入れたのに蹴ったんですって」
「うそ、なんて高慢な子なの」
「神官の娘だからって調子に乗りすぎじゃないかしら」
 あることないこと、事実がどんどん歪んでいき、全く的はずれな噂まで流れ始めた。
 元々私と仲の良い友達などいなかったため、擁護してくれる者などいなかった。
 むしろ私の成績に嫉妬する者も多く、噂は陰口になり、直接的ないじめにまでエスカレートしていった。
 私の成績が不正であるという者が騒ぎ出し、不正疑惑で退学の危機に陥ったことがある。
 しかし厳正なる監視のもとでテストを受け、その疑惑は払拭された。
 不正だと騒いだものはそれが故意に流した嘘だとばれ、謹慎処分となった。
 だがそのようなことでさえ、そんな手を使って復讐するなんて性根の腐った女だと言われるようになった。
 私の精神は最早限界だった。そこで私は父に助けを求めた。いじめられている、どうすればよいか、と。
 返ってきた言葉は予想通りのものだった。
「それも試練だ。それを乗り越えてこそ神官になれるのだ」
 この男に頼ったのが間違いだった。私のことを見ていないとは分かっていたが、それを再確認させられただけだった。
 そして、私は気づいた。
 『神官』が足枷になっているのではないか。全ては『神官』の所為なのではないか。
 神官は冒険者を救っているのかもしれない。でも神官は私を救ってはくれない。
 私を救ってくれるものって……?

それから私は冒険者を目指した。僧侶と神官は通ずるところがあり、すぐに僧侶の技能を修得することができた。
 いつしか周りの人間が私をいじめなくなっていた。私は遂に、努力で周りを認めさせたのだと思った。
 それから私は魔法学校を卒業し、成人するとすぐに僧侶に就職した。
 上級職になるのにさほど時間はかからなかった。
 そして間もなく、私は祓魔師として冒険者の中で知名度を上げる事になったのだ。

「さて、帰りましょうか。皆さん」
「それじゃ、酒場に移動するかね」
「ちょっと待て。依頼遂行の証拠品が必要になる。魔族から何か剥ぎとっておかないと」
「そうだな……」
 魔族の亡骸は先ほど落下してきた鐘の下敷きになっている。しかし幸い、頭部の角がはみ出していたため、それを折り回収した。
「とりあえずこの角があれば充分だろ」
「それじゃあ行くか……って、あれ?」
 鐘の周りに集まっていた三人を他所に、ミーナは既に塔の入り口で帰る準備をしていた。
「私は聖堂に戻りますね」
「え、酒場に行こうよ。ヨーハンさんが待ってるよ?」
「フッ……まさか。あの、私のことなんて眼中にない父が?」
「本当だって、すごく心配してたよ」
「あなたは父のことを何も知らないんです……。一体今までどれだけ苦労してきたことか」
「私はあの時ヨーハンさんに助けてもらった。彼は”神官”の鑑だよ」
「その単語を口にしないでください!!」
 ”神官”という言葉に、ミーナが過敏に反応した。
 驚いたシンシアは一歩仰け反った。
「私はその言葉が嫌いなんです。私は、それに長年縛り付けられてきた。それから解放されるために祓魔師になったというのに、その言葉をこんなところで聞きたくないんです」
「どうしてそこまでしんか……それを憎んでるんだ? ヨーハンさんは、ミーナをそれにするために訓練してあげてるんじゃ……」
「訓練? あれは束縛です。私にとって障害なんです。それを父は理解できなかった。だから、私は父を見限っているんですよ」
「……」
「もう行きます。聖堂の掃除をしないと――父が怒りますからね」
 皮肉っぽくミーナがつぶやき、そこを去っていった。
「ヨーハンさん、あんなに心配していたっていうのに」
「親子の問題だし、難しいよなぁ」
「それだとしても、一体どうしてミーナはヨーハンさんを毛嫌いしているんだろう」
「ここで考えても何にもならない。私達だけで酒場に行こう」
「そうだな」
 三人はミーナを見送り、魔族の角を持って酒場へと向かった。

――――
――

三人が酒場に戻ると、どよめきが起こった。
「お前ら、無事だったのか!?」
「魔物とやらはどうなったんだ!?」
 冒険者達が口々に質問する。
 そんな中、一人の司祭が三人の前に駆け寄った。ヨーハンだ。
「ミーナは!? ミーナは無事なのか!?!?」
「ええ。彼女は無事です。先に聖堂に帰っちゃいましたけどね」
「そうか……良かった……」
 ヨーハンは緊張の糸が切れたのか、へたりと床に尻をついた。
 ガイが酒場のマスターの元に行き、例のものを渡す。
「ほら、依頼完了だ。これが証拠の品だよ」
 ガイは袋から魔族の角を取り出した。
 またしても、周囲がざわついた。
「あいつら本当にやったのか……!?」
「こいつらそんなに強かったのか……」
「そうさ! 俺たちのチームワークで魔族を討ち取った!!」
 シンシアがボソッと「ミーナの力が大きいがな」と呟いた。
 ばつの悪いガイは頭を不機嫌そうになりながら、
「とにかく、脅威はこれで去った!! さぁ、皆飲もうぜ!!」
 盛り上がる酒場。この宴は明朝まで終わる気配がない。

「ここで魔族が魔法を撃ったんだ。だがそこで俺は防御魔法を張り他の仲間を助けて――」
「ほうほうそれで!?」
 ガイが酒場の冒険者に武勇伝を語っている。しかもかなり誇大に表現していた。
「ぐっ……もうダメだ……」
「もっと骨のある奴はいないのか」
「ねーちゃん強いな。よし、次は俺の番だ!」
 シンシアはシンシアで、酒の一気飲み対決をして楽しんでいるようだ。

 アルフレッドは、部屋の隅で一人佇んでいるヨーハンに気づいた。
「ヨーハンさんは飲まないんですか」
「職業上、アルコールの摂取が禁じられていてね。ハメを外してみたいものだけども。……アルフレッド殿は?」
「俺はお酒苦手なんです……昨日分かったことなんですけどね」
「そうかそうか、成人して間もないのだったな、ハハハ」
 ヨーハンは乾いた笑い声をあげる。その声は生気がなく、すぐに周りの喧騒に掻き消された。
「……無理してませんか? なんだか辛そうだ」
「むう、ごまかせないもんですなぁ」
「俺達がいない間、何かありましたか?」
「そうだな、私が現実を思い知った、ということかな」
「……よければ話をお聞きしますよ」
「若者に慰められるとは、私も年老いたものだ――」
 ヨーハンは話し始めた。

「私は昔から、ミーナを厳しく育ててきた。立派な神官にするために、幼い頃から無理難題を押し付けてきたのだ。娘はそれを乗り越えて、あんなにも立派に成長してくれた」
「だからあんなにエリートなんですね」
「娘が類まれなる才能の持ち主であることを知って、私はどうかそれを活かしてやりたいと思っていたのだ――ミーナがその力を疎ましく思っているとも知らずに」
「……」
「ミーナは他人と違うことに悩みを抱いていたのだ。才能を持って生まれたことを劣等に感じていたのだ」
 アルフレッドは、黙ってヨーハンの話を聞いていた。
「私はその力の使い方を示していたつもりだった。神官になることが、何よりミーナのためになると思っていたのだ」
「ヨーハンさん、それは父親として誇れることだと思います。子のために道標を作る、それはとっても大事なことだと思います」
 アルフレッドは優しく声をかけた。しかし、ヨーハンは拳をテーブルに打ち下ろし、感情を――後悔を露わにして言った。
「だが、ミーナにそれは伝わらなかった! 私が示した道筋は、ミーナにとって障害にしかなっていなかった!!」
 ヨーハンはグラスに入った冷水を一気に飲み干す。
「ミーナは違う道を選んだ。神官ではなく、冒険者として功績をあげる道を選んだ。彼女が神官よりも冒険者に重きを置いていたのも気に食わない、そう思ったが……何よりも――そんなことは瑣末な問題に思えるほど……自分に腹が立った――ミーナのことを何も分かっていない、自分に腹がたったのだ!!」
 言いたいことを言い切ったのか、ヨーハンは姿勢を崩し、宙を見つめた。そして一言、こう呟いた。
「父親失格だ……」
「そんな、こと、ないです」
 それはただの気休めだった。しかし、気休めでも言うべきだとアルフレッドは思った。
 アルフレッドは想像した。自分の将来を。自分は子を作るか? 責任を持ち育てることは出来るか? 果たして自分自身が後世への指針となるのだろうか?
 疑問というよりは、恐れに近かった。
「今からでも、遅くないと思います」
「もう遅い。取り返しの付かないことだ」
「赤の他人の自分が言うことじゃないかもしれないですけど……ミーナを、自由にしてやるのはどうですか?」
「唯一の後継者を見捨てると?」
「あなたにとってミーナは後継者かもしれませんが、第一に娘です。娘の成長を後押しするのが父親の役目なのでは?」
 アルフレッドは言い終わって、自分の図太さが気恥ずかしくなった。
「すいません、偉そうなことを言って……」
「……君の言うことも、一理あるのかもしれないなあ」
 しかし、とヨーハンは一拍置いた。
「今考えを変えてしまったら、今まで意地を張ってきたのが無駄になってしまう」
「あくまでも貴方は司祭であり続けるのだな」
「シンシア殿……?」
「すまない、途中から聞いていた。どうしても口出ししたくて」
「いいんだ……それじゃ、そろそろ私は失礼しようかね」
 ヨーハンは立ち上がった。彼はマスターに代金を払おうとするが、酔いまくったガイが「全部払いますんで!」と言って財布を戻させていた。
「それじゃ、アルフレッド殿、また明日」
 アルフレッドは明日、聖堂で洗礼を受ける予定だった。
 ヨーハンは会釈し、店を出ようとする。
「ヨーハンさん!」
 アルフレッドは、出て行くヨーハンの肩を掴んだ。
 驚いたヨーハンは振り返りアルフレッドを見る。
「ミーナに、洗礼してもらっていいですか?」
 アルフレッドは無理な願いだと分かっていた。だが、ヨーハンとミーナの関係をどうにかしてやりたかった。
「そうすることで、何かが変わるかもしれない。何もしないより、何か行動して後悔したいんです!」
「前話したとおりだよ。見習いの彼女に洗礼を行う資格は無い」
「ヨーハンさん、アルフレッドの願いを聞いてやってはくれないだろうか」
 シンシアはアルフレッドの肩を持った。アルフレッドには何か考えがあると感じたからだ。
「そう言われてもな……。ミーナは神官というものを毛嫌いしている。反発するだけだ」
「反発したっていい。ミーナはヨーハンさんと同じように悩んでいるんです。それを吐き出すことが出来たなら、きっと気が楽になると思います。俺なんかが行っていいのか分からない。でも、今の俺に出来ることはこのくらいしかないから」
「アルフレッド殿……」
「あの、いいですか」
 そこに、一人の女性が声をかけた。酒場にいた冒険者の女性だ。ミーナの学生時代の同期だと言っていた気がする。
「私の事覚えていますか、ヨーハンさん」
 ヨーハンは頷いた。
「私、ミーナさんのこと心配で……それに、一度しっかり謝っておきたくて」
 アルフレッドは何があったのか尋ねた。
「私、昔ミーナさんのこといじめてて、そしてヨーハンさんに助けてもらったの」
「些細なことです。君が更生してくれたのなら」
「でも、ミーナさんには心に傷を負わせてしまった。もしもそれが原因で神官を――親子のつながり――を疎遠にしてしまったのなら、私にも責任があるから」
「ヨーハンさん、お願いします! まずは聖堂でミーナの気持ちを聞いてみましょう!!」
「……本当お節介ですな、君たちは」
 ヨーハンは酒場のドアを開けた。
「行きましょう。私も私なりに、娘に気持ちをぶつけてみるとするよ……無事に帰ってきた娘の姿もまだ見ていないことだし」

アルフレッドは大聖堂に扉を両手で押し開ける。
 ステンドグラスで色づいた月光が広間に降り注ぎ、パイプオルガンの前に座り込むミーナを照らす。
「アルフレッドさん……」
「どうしたんですか? 酒場に帰ったのでは?」
「ミーナに聞きたいことがあって」
「……? 何でしょう?」
「ミーナは、神官を憎んでいるのか?」
「……ッ!!」
 ミーナの息が詰まった。明らかに苛立ちを感じていた。
「ええ。憎んでいます」
「ミーナにとって神官とは何なんだ?」
「私にとって……神官とは、足枷です」
 ミーナは淡々と喋った。その声に抑揚は無く感情はこもっていない。まるでからくり人形のようだ。しかし――
「なぁ、お前……なんで泣いてるんだ?」
 彼女は涙を流していた。こぼれ落ちる一粒一粒に、月明かりが乱反射する。淋しげに煌めく光が、無表情な彼女に唯一感情を与えていた。
「ミーナに頼みたいことがある」
 アルフレッドはミーナに告白するかのように、一旦溜めを作って言葉を口にした。
「……洗礼を受けさせてくれ」
 洗礼は神官のみが出来る仕事であり、技能である。未だ神官ではないミーナにそれを行う権限は無い。
 その言葉はせき止めていた彼女の感情を溢れ出させた。
「私は神官じゃない!! 神官になることすらできない!!」
 ミーナの声は聖堂内に反響し、大きな残響を生み出した。音は何度も耳に入り、跳ね返り、もう一度響き、混ざり合って音を作り出す。
 神聖だった。
 この場所が、聖堂に響き渡る音が、目の前にいる少女が、アルフレッドの五感を通して感じる全てが神聖そのものだった。
「……どうして、なんです。どうして私なんですか」
 ステンドグラスを通して降り注ぐ光は、彼女の艷やかなブロンドの髪を染めた。
「そんな資格、私には無いんです……」
 彼女は手で顔を覆った。行き場のない感情が、震えとなりその手に表れていた。
「父は私を神官にするため、私を厳しく育ててきました。でも、父は私を一度足りとも甘やかさなかった。父は私を神官にする気があるのだろうか? そんな疑念を抱いてから、私にとって神官は足枷になっていました」
「冒険者になれば、気にならなくなると思ってました。冒険者は努力が貢献度という指標で表される。貢献度さえ集めれば、皆認めてくれるんです」
 アルフレッドは理解した。彼女が囚われているものを。彼女が一歩を踏み出せない原因となっているものを。
 ――自己承認欲求。
「たった一言でよかったんです。パパが、褒めてくれさえすれば」
 ――それだけで、私は救われたというのに。
 『ミーナ・アウグスト』の皮が剥がれていく。彼女が涙を流せば流すほど、本当の彼女が露わになった。
 アルフレッドの前にいるのは、最年少の上級職の資格を持ち比類なき才能を持つ天才ではなく、親に認めて欲しいと嘆くただ一人の少女だった。
「教えてください、アルフレッドさん。私はいつまで神官という名の枷に囚われないといけないんでしょう。いつまで完璧な『ミーナ・アウグスト』を演じなければいけないんでしょう」
「…………」
 アルフレッドは答えを探した。しかし、何も思い浮かばなかった。優しく慰めるべきか、叱咤激励するべきか、はたまた非難して突き飛ばすべきか。
 どれも出来なかった。月並みな言葉さえも、その一言で彼女の人生の決断を揺るがしてしまうかと思うと、恐ろしくてとても口にすることは出来なかった。アルフレッドはまたしても自分の未熟さを痛感した。
 目の前にいる、いつか壊れてしまいそうなほど脆くてか弱い少女を救うことが出来ない。そんな自分にただただ腹が立った。
 聖堂を包み込む残響の代わりに、一時の沈黙が空間を支配する。まるで二人の間の時が止まったかのようだ。
 ミーナの潤んだ瞳は光り輝いている。純粋無垢な彼女の眼はまっすぐにアルフレッドに向けられている。アルフレッドはそんな彼女の眼を濁らせたくないと思った。

「ミーナ!!」
 突然沈黙は破られ、二人だけの時間は終わりを告げた。
「パパ!?」
 駆けつけたのはヨーハンだった。彼はミーナの元へ急ぎ、無事である娘の身体を強く抱きしめた。
「良かった……本当に良かった……」
 ミーナはヨーハンの行動に戸惑っているようだった。
「ヨーハンさん、ミーナのことを心配して酒場に助けを求めに来たんだ」
「パパが……?」
 いかにも、意外といったような表情だ。
 ミーナにとってヨーハンとは、妥協を許さない、どんな状況でも鞭を打つような父だ。
 そんな彼が助けを求めに行くとは俄に考えられないことだった。
「今まで、本当に……本当にすまなかった……」
「何言ってるの、意味分からないよ。どうしちゃったの、パパ」
「私は自分の理想を追い求めすぎたのだ。ミーナを立派な神官にすることが、ミーナにとって最善である。その考えを曲げることが出来なかったのだ」
 やっとのことで、ミーナがヨーハンから離れる。
「今更、どういうことなの。パパは神官というものを私に押し付けた。私が助けを請うても、パパは私を見放したじゃない!!」
「……」
 ヨーハンは押し黙った。
「何も言い返せないじゃない!! 上辺だけ謝る? 私はそんなの求めていない!! 私は一人で祓魔師になってみせた。今更父親ぶって頼んだとしても、私は神官になる気はさらさらない!!」

「――――やめろ」

 その言葉を口にしたのは、アルフレッドだった。
「ミーナが怒る理由もわかる。ヨーハンさんに非があったのかもしれない。でも、ヨーハンさんは本当にミーナを見放したのか? ミーナの障害にしかなっていなかったのか?」
「そうよ! パパは何もしなかった。私がいじめにあっても傍観していただけ、退学させられそうになっても気づきもしない! 私はずっと、一人で生きてきたのよ……」
 ミーナの声は悲痛に満ちあふれていた。それだけで、彼女がどれだけの辱めを受けてきたのかを汲み取れた。

「シンシアさん、お願いします」
 アルフレッドが入り口に向かって呼びかける。すると、扉が開き、シンシアと――一人の女性が中に入ってきた。
「あなたは……」
 ミーナがその女性の顔を見て驚く。
「彼女はミーナのクラスメイトだ――ミーナをいじめていたことがある」
「でも、いじめなくなりましたよね。ミーナのことを認めたんです。でも、そう簡単には心変わりなんてしません。ところで、ヨーハンさんと彼女は面識がありますよね?」
「……ああ」
 アルフレッドの問いにヨーハンは肯定する。
「どういった経緯で?」
「少し話しただけだ。ミーナのことを。私なりに」
 ヨーハンはぼそぼそ喋った。シンシアが隣の女性に喋らせた。
「私はミーナさんのことが憎かった。なんでも出来る彼女が、羨ましくてしょうがなかった。そしてあの頃の――本当、どうかしてたと思うわ――私は、彼女が不正をしてたと噂を広めたの。するとそれが職員会議の話題に上がって、ミーナさんに対して試験を行わせるようになってしまったの。その試験が解けなければ、退学。ミーナさんは難なくそれをクリアしたの」
「そのとき、ミーナは何故『難なく』合格出来たのか?」
 シンシアはミーナを見た。ミーナが答える。
「そんなの、簡単だったからです。あのレベルの問題は、パパに毎日解かされていたから朝飯前ですよ」
 そう言うと、ミーナははっとした。何かに気づいたのだ。
「ヨーハンさん。この聖堂の礼拝者には勿論教職員もいるはずだ」
「ああ」
「その教職員に頼みこんで、試験問題を変えてもらった、というのはどうだろうか」
 ヨーハンは図星なのを悟られないように、無愛想に答えた。
「……不可能ではない」
 ミーナは、目を見開いていた。
「さて、続きを」
 アルフレッドは女性に促した。
「ええ。私はその噂を流したことで謹慎処分になったわ。謹慎が終わると、復讐のために陰口を言ったりした。『研究機関を蹴った性悪』とか、ほんとに酷いことばっかり。バケツの水をかけたりもした。――あの時のことは死んでも詫きれないわ。そこで、ある日おじさんに声をかけられたの。聖堂に来てくれ、と」
「パパに……?」
「聖堂に行くと、ミーナがいじめられているが君は何か知っているか、と聞かれた。と、いうよりヨーハンさんは知っていたんだと思う。私がいじめていたことを。彼の目には逆らえなかった。ミーナさんと似ている、淀みのない澄んだ瞳。私は真実を自白した。でも、彼は咎めなかった。これから更生すればよいと。ミーナさんの昔話をたくさん聞いたわ。それを聞いていると分かったの。この人は、娘を心から愛しているんだって。それに、私を咎めず、もう一度チャンスを与えてくれるなんて、なんて心の広い人なんだって。そして、私はなんて心が狭いんだろうって……。それからミーナさんの悪口を言うのはやめた。他にいじめていた子も、すぐにいじめなくなった――多分、ヨーハンさんが一人ひとりに声をかけたんだと思う。ミーナさん、私、あんなことして絶対嫌われてると思ってたから言い出せなかった。でも今なら言える。あの時はごめんなさい。許してもらえるなんて思ってない、ただ、これだけは伝えたかったの」
 女性が、深く頭を下げる。ミーナが「いいよ、顔を上げて」と近寄った。
「分かっただろ? ミーナ」
 アルフレッドは、ミーナに言った。

「――ずっと、ミーナは愛されていたんだ」

「――ッ!!」
 ミーナが、ヨーハンの胸に飛び込んだ。
「パパ……ごめんなさい……親不孝な娘でごめんなさい……」
「違うんだ、ミーナ。悪いのは私なんだ。私が神官なんてものに囚われさえしなければ……もっと優しく接していれば……」
 アルフレッドは分かった。彼らは、どうしようもなく不器用なのだ。一度すれ違った矢印は離れていくばかりだ。だから、どこかでそれを修正しなければならないのだ。
 ミーナの願いははじめから叶っていたし、ヨーハンの願いも叶っていた。
 最初からヨーハンはミーナを認めていた。ミーナはヨーハンの誇りでいることができた。
 それを知らないというだけで、時間が二人の軋轢を大きくしてしまっていた。
 しかしその溝も一瞬で埋まる。矢印のベクトルを変えるだけで、再び両者は交わる。それからはもう平行線だ。
 祝福の光がステンドグラスから降り注ぐ。
 ミーナが賛美歌を歌い、ヨーハンがパイプオルガンを奏でる。
 外界と隔てられた聖なる空間で、慈愛の歌が沈黙を支配した。

「頭いてーわ、金はねえわ、踏んだり蹴ったりだな、おい!」
「自業自得だから……」
 荒ぶるガイをアルフレッドが軽く流す。
「ていうかあんなに莫大な報酬金が残りこれだけって、これからどうするつもりなの!? ガイ!!」
「ピ~ヒャラ~」
 ガイは口笛を吹いてごまかした(気になっていた)。
「それにしても、うまくいってよかったですね、シンシアさん」
「ああ、大成功だったな」
「何なに!? 俺が酔ってる間に何があったの!? 教えてくれよ!!」
「だから言ったでしょ、聖堂に行ってかくかくしかじかで二人は和解したんだって」
「いや、だからそのかくかくしかじかを知りたいんだって!!」
「ほら、聖堂に着いたぞ。二人が待ってる」
「置いてくよ、ガイ」
「そんなぁ~」
 うなだれるガイをアルフレッドとシンシアは置いていく。
「本当、うまくいってよかったですね」
「ああ」
「シンシアさんのおかげです。あの時、細かく段取りを決めてくれたから……」
「私にはそのくらいしか出来ることがなかったからな――」

――――
――
「行きましょう。私も私なりに、娘に気持ちをぶつけてみるとするよ……無事に帰ってきた娘の姿もまだ見ていないことだし」
「ヨーハンさん!!」
「待ってくれ」
 決心したヨーハンだったが、シンシアがそれを遮った。
「みんなで押しかけたらミーナは困惑するだけだ。心を開くことはないだろう」
「確かに……」
「ここはアルフレッドに任せよう」
「俺に!?」
 急に重要な役を担わされ、アルフレッドは狼狽えた。
「お前なら色々と伝えたいことがあるはずだ。そして何より、お前の言葉は心に響く」
 アルフレッドは照れて少し赤くなる。
「だが、それだけでミーナが納得するとも思えない。だから、そこでヨーハンさんの出番だ」
「私か」
「ヨーハンさんも、思いの丈を伝えればいい。その時にあなたも話すんだ。本当にミーナに謝罪したいのなら、言葉は自ずと浮かんでくるはずだ」
 シンシアはミーナの同級生の女性にもそう指示した。
「分かりました」
「それじゃ、気を取り直して行きましょう!」
 それから四人は聖堂へ向かい、アルフレッドは先陣を切って聖堂の中に入っていった。
――
――――

「ガイが言ってたでしょ? 他人を信じず自分のことは信じさせるのは難しいって」
「言っていたな」
「俺、シンシアさんにはできると思うんです。自分を信用させること。シンシアさんの言うことには説得力があるから」
「私も、少し考えが変わったかもしれない」
「どんな風にです?」
「今まで私は他人を信じることができなかった。だけど、ミーナ達を見て思ったんだ。人を信じることは重要なことなんだって」
「シンシアさん……!」
「言葉にすると照れくさいな……アルフレッド、今のは忘れろ」
「そんな、無理ですよ!」
 いつの間にか、聖堂はもう目の前だった。

アウグスト大聖堂の大きな扉を開く。
「お待ちしておりました。剣士、アルフレッド・ガルシア殿」
 シンシアを助けた時のような厳かで絢爛たる衣装でヨーハンが出迎える。
「お連れ様は此方におかけください」
 ガイとシンシアは身廊の最前列の席に通された。
 ヨーハンはアルフレッドを聖壇のもとへと誘導する。
「今日はこの者が神官を務めます」
 目の前で待っていたのは、木綿のようなブロンドの髪を持つ少女。ミーナだった。
「神官見習い、ミーナ・アウグストです。今日はよろしくお願い致します」
「よろしくお願いします……」
「では、聖人の降霊の前に、少し説教を」
 ミーナはコホン、と一つ咳をした。

私にとって、神官とは足枷でした。
神官という職を憎み始めてから、絶対にこの聖壇に立つものか、と思っていました。
でもそれはただの逃げだったんです。
聖壇に立ちたくない、神官なんてなりたくない。そう思うことで、神官になるという長く険しい道から背いていただけなんです。
そんなの、単なる自分を正当化するための言い訳でしかない。私は弱かったんだって、気付きました。
父の気持ちを聞いたことで、全部わかっちゃいました。
私は神官を憎んでいたんじゃない。神官が羨ましかったんです。
こんな私が神官になんてなれっこない。気づいたから、手放した。そして、罵った。そうすることで、自分の本心を偽ることができたんです。

ミーナの語りを、一同は静かに聞いていた。
「私は大馬鹿者なんです。そんな私が神官としてここに立てるなんて、本当に夢みたい。だから最後に一つだけ、馬鹿なことするのを許して……?」
 ミーナは、胸元のバッジを全て、むしりとった。
「ミーナ!?」
 ミーナはバッジをむしりとった拳を天に突き上げ、振り下ろした。
 四つのバッジが床に衝突し、それぞれが違う音階を奏でる。
「何を……」
「宣誓します。私、ミーナ・アウグストは所有する全ての資格を剥奪し、資質も返還します」

それは正気の沙汰ではなかった。なにせ、前例のないことだ。
 経験豊富なヨーハンでさえ、ミーナが言ったことを一瞬では理解しきれなかった。
「ミーナ、お前は……天からの授かりものを、無碍にするというのか……?」
「ごめんなさい、パパ。私はわたしなりにケジメを付けるから……」
 彼女が行っていることは『異端』だった。賜物を無に帰すことは教えに反していた。それは悪魔的だといえた。
「私、やってみたいんです。神官とは違う方法で、人々を助けたい。神官でなくても、十分それはできるはずなんです」
 ヨーハンは思い知らされた。彼女を突き動かしているもの――探究心――に、頭の固い人間の考えなど到底及ぶわけがない。
 彼女がやるべきことを見つけたように、自分もやるべきことを見つける時なのかもしれない、と思い知ったのだ。

ミーナを包んだ光が、天に昇り消えていった。それは、資格や資質が剥奪されたことを意味していた。
「さぁ、あなたの番です。アルフレッド・ガルシアさん」
「……はい」
 ミーナの顔つきが変わった。今まで白い歯を見せながら陽気に笑っていた彼女が、聖母のように温かい笑みを浮かべていた。
「汝は今日から正式に剣士として責務を全うすることとなります。異議は無いですか?」
「はい」
「此処に眠りにつかれている聖者様からもたらされる御力は二度と取り消すことが出来ません。それでもよろしいですか?」
「はい」
 先ほどミーナがした行為は何だったのか、と突っ込みたい気持ちをギリギリで抑える。
「では、膝をついて」
 言われるがまま、アルフレッドは片膝をついた。
 ミーナは聖水盤で手を湿らせ、文言を唱える。
 言の葉は魔力を帯び、それが天界への架け橋となっていく。
「汝、アルフレッド・ガルシアに剣士の資質を与える」
 ミーナがアルフレッドの額に指を突きつけた。
 濡れたその手から、一筋の雫が滴り落ちる。
 ミーナは再び聖水盤に向き直り、ぶつぶつと詠唱する。
「これで洗礼は終わりです」
「あ、ありがとう」
 意外と呆気無く終わった、と思うと――
「貴方が誇り高き騎士になれますように」
 ミーナに、そっと耳打ちされた。
 甘い香りが、すべての感覚を麻痺させるかのようだった。
 アルフレッドは驚いてミーナを見た。ミーナは照れてそっぽを向いていた。
 こうして、アルフレッドの洗礼は無事終了したのだった。

「今日はありがとうございました」
「いやいや、此方としては正式な神官でなくて申し訳なかった。ミーナにもいい経験になったと思うが」
「そんなことないです。しっかり資質が身についたのを感じますから」
 少しだけ、腕の動きが軽くなった気がする。洗礼のおかげだろうか。
「それにしても、ミーナが中々顔を出さないな……」
「遅れてすいません!!」
 ドタバタしながらミーナが現れた。
「出立の準備をしてたら遅くなっちゃって」
「出立の準備……?」
「はい、今日から皆さんのパーティのお世話になりますから!」
「は?」
「資格と資質を剥奪して駆け出し同然の私……シンシアさんやガイさんのような経験者のいるパーティなら安心だと思って!」
「待て待て! ヨーハンさんが許したのか? それにシンシアはパーティ一緒じゃないし……」
「いいよね、パパ?」
「お前を縛るものは無い。聖堂はなんとかするから好きなようにしなさい」
「ありがとう!!」
 ミーナはヨーハンに別れのハグをする。
「あの……ガイ、いいか」
 その間、シンシアがガイに話しかけていた。
「ミーナがお前たちのパーティに入るんだとしたら、女一人になってしまう」
「そうだな」
「お前たちがミーナ何をするか分からん……彼女のボディガードとして、パーティに入ってやらんこともない」
「……シンシア!!」
「シンシアさんもパーティに! 賑やかになりますねー!!」
「五月蝿い! ミーナには指一本触れさせないから覚えておけよ!」
「はいはーい」
「それじゃ、ヨーハンさん。ありがとうございました!」
「楽しそうで何よりだ。娘を頼みましたぞ。――”神の御加護のあらんことを” 」
「”神の御加護のあらんことを” 」

「聖堂はいいのかな」
「長年アウグストの家系でやってきてたんですけど、新たに外部の神官や修道士の方を雇うみたいです」
「そうか、なら良かった」
「そうそう、私も心機一転、名前を変えることにしたんです!」
「名前を?」
「今のままだと変に有名になっちゃったし、何かあったら父に迷惑がかかるから……」
「なるほど、どんな名前に?」
「『ファウスト』って知ってますか? 人間が悪魔と契約して、魂を奪われちゃう話なんですけど……」
「私は父に酷いことを言ってしまった。神官を貶めた。そして、資格を剥奪してまで今ここにいる。そのことを忘れないために、本当の『ミーナ・アウグスト』であるために――」

「私は『ミーナ・ファウスト』を名乗ります」

 彼女の両腕には、捨てたはずの四つのバッジがカフスボタンとして縫い付けられていた。
 彼女の新たな旅路と、四人の新たな旅路が、この先長く続いていた。

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